ktakumikun’s blog

残り少ない日数を胸に !!

パソコン「アルヒハイマー」を患う

 13日午後目覚め、パソコンを起動させようとして電源を入れるが、画面が仄かに明るくなるだけで全く起動画面が現れない。 その日は、いやな予感がして使用せずに閉じた。 

yukuhashi-guide.jp

 

 1月15日、同級生に向けて書きました。

 

 昨日から、今まで活動的だったパソコンが、どうしたわけか電源は入るが、起動しない。と言う状況に陥り、悪戦苦闘しており、顔を出すどころではありませんでした。

 紆余曲折を経て、復活しましたが、「Win 8」に逆戻りしました。 最早、形でも「Win 10」には戻りません。
 意味深ですね、何かが原因で、起動しなかったのですね。
 いつも使っていたようには、出来ませんが、やっと、ここまで使えるのならと言うところで、久しぶりに「魚」を「肴」にして、楽しんでいます。
    😅😅😅😅😅😅😅😅😅😅🥶🥶🥶🥶🥶🥶🥶🥶🥶🥶
 
 * 顔を出すどころではなかったのではなく、「すっかり忘れていた」のである。私もある日突然に忘れるという「アルヒハイマー」になっていたのである。😀😀
 
 
 その後、その同級生から1月21日は「リブリオ行橋」で、「エストニア歌講座」があるからと聞かされていたのである。
 その同級生から19日11時前に、使っていた電子レンジが壊れた、廃品回収場に運ぶから付き合え、という。 前にも、電子レンジを搬んだだろう、と伝えると、「あの時から2年半でまた壊れた」という。 午後一で付き合うことにした。 😀😀
 
 13時前に屋敷に出かけ、一時間弱で搬出した。その後、「歌講座」の「パンフレット」を受け取り、記事作成の準備にと「スキャン」しておいたのであるが、 
 
* オーイ、首尾よく
 Win8.0 からWin8.1、さらにWin10 まで
バージョン・アップに成功したぞ!?
 
と喜びもつかの間であった。 1月21日のことである。
 
 
 「エストニアの歌講座」を終え、「資料」も受け取り、「よし!」と帰宅後、パソコンに電源を入れるも、また起動しない。 「えっ、またWin8戻すのか戻すのか !?」 疲れがどっと出てきた。 
 
 前回は、Win8.0 をWin8.1 にバージョンアップした後、さらに日常使用するアプリケーションをインストールしてWin10にまでバージョンアップしたが、今回は、OSをバージョンアップしてその後にアプリケーションを再インストールすることにした。
 
 出来上がった画面は、前回と少し違う。
 
 辞書機能は、長い間の操作で、使いやすくなって来ており、登録単語もあった。そのすべてが「パァ!」になったのである。
 
 官公庁のホームページを覗くときに、「Acrobat Reader」が必要なことがあるが、古いバージョンでは文字化けする。Win8.1 では、新しいバージョンをダウンロードできないので、どうしてもWin10 にまでバージョンアップせねばならない。
 
 しかも、インストールしたソフトは、起動のたびに認証を受けねばならない。場合によっては様々な「ID」の入力を求められる。
 もともと入っていたマイクロソフトの「エクセル、ワード」は、無知で「プロダクツID」を控えていなかったので、どうにもこうにもならない。泣けてくる。
 
 昨日はこの作業に徹して、やっとWin10 にまで漕ぎ着けたのである。マイクロソフトの「無料サポート」が切れて、Win8.1 のままでは、「クロームのバージョンアップ」はできないし・・・。
 だが、サイトを覗くと、この手順が曲がりなりにも示されており、「バージョンアップ用の手段」もある。 「サポートが切れる」とは、単純に「もう使えません!」ではないのである。 陸上では、「もう7年が過ぎています部品がありません!」と鮸(ニベ)もなく断られるのが落ちであろう。 
 
      問題は、「直るか、直せるか」が問題である。
 
 
 こうして、不安に怯えながらも、使用可能になった今、曲がりなりに「エストニア歌講座」を報告することにいたします。
 
 同級生には、このように伝えた。
 
ここ10日ほどパソコンの調整、設定に追われている。
 「アルヒハイマー」に陥ったパソコンのデータが消滅した。
 同級生から誘われて、「リブリオ行橋・欅ホール」で行われた「エストニアの歌講座」に出たのは、21日だったが、「案内状」をスキャンしていたのであるが、そのすべてが消滅した。 
😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭
 
 バックアップを取っていても収納側が「壊れると同じ」なので、イタチごっこの感がある。
 ワープロも辞書が初期化され、極めて変換効率が悪くなる。
 次のものは、パソコン復旧後のものであるが、スキャナー・ソフトが再インストールの過程で「バージョンアップ」され、使い勝手が悪くなった。
 元原稿が歪んでいるのであるが、1度単位では「傾き」調整はできず、スキャナー盤上で目測によって傾き調整しなければならないので試行錯誤することになる。🥶🥶🥶🥶🥶
 というわけで出来上がったものが、以下のものである。😅😅😅😅😅
 人によっては、「ナショナリズム」を感(観)じる方もおられるかも・・・・。 
 
 * エストニアナショナリズムの最も重要な表現の 1 つは、今でもエストニア歌謡祭です。 5年に一度7月に開催される世界最大級のアマチュア合唱イベントです。 2019年のエストニア議会選挙後、民族民族主義政党EKREが初の連立政権を樹立。
とのことである。
 
コメント欄に、講座で使用された YouTube 動画がありますので参考になさってください。
 この作詞者は、エストニア最初の「職業詩人」なのだとか・・・・。
 
それではどうぞ!
 
 





 

www.youtube.com

 

このような「写真とお話」をどうぞ。
エストニア語:Lydia Koidula  1843.12.24~1886.8.11
 エストニアの詩人、劇作家。
 最初にエストニア語新聞を出したバルデマール・ヤンセンの娘で、エストニアの文化的プライドとされている。
本名は、リディア・エミリー・ヤンセンで筆名に書いたコイドゥラ(Koidula)は、エストニア語で「夜明け」を意味し、独立を勝ち抜かなければならない民族が経験し難いことを明らかにする。
彼女の作品は全体的に「エストニア」、「祖国」という言葉が数え切れなく繰り返される。
「エマ川(ヨキ)のナイチンゲール」は彼女の作品の中で最も愛されており、彼女の詩「私の祖国、私の愛」はエストニアの第2の国家と呼ばれている。
  * タルトゥのエマヨキ(Emajogi=ema(母)+jogi(川))

 

 

* 国境島という名の島 (月刊 「みんぱく」April 2005 「万国津々浦々」シリーズ) 

https://www.minpaku.ac.jp/sites/default/files/museum/showcase/bookbite/gekkan/0504-14.pdf